日本画壇 東の巨人逝く
大学入学時、学長をしていた、日本画家「平山郁夫」が亡くなっていた。
(今日たまたま、北鎌倉の手ぬぐいデザインを依頼され、その打ち合わせで知った)
「仏教伝来」やシルクロードをテーマにした作品群で一躍、時の人となり、その後も
東の平山郁夫、西の片岡球子 が日本画壇を引っ張ってきたその人だ。
くしくも、平山郁夫の住んでいる町に住み、しかも、地域の人として、自然の保護やロータリークラブなどと連動し文化復興にも力を入れていた名士だっただけに、残念である。
これからの活動しだいでは、お話しする機会もあったかもしれないと言うのに。
謹んでご冥福をお祈りします。・・・合掌
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朝日新聞 神奈川より 本文引用
http://mytown.asahi.com/kanagawa/news.php?k_id=15000000912030005
鎌倉の文化と平和応援 平山郁夫さん死去
2009年12月03日
自身が揮毫した平和都市宣言文の新記念碑の除幕式であいさつする平山郁夫さん=3月24日、鎌倉市役所 |
再興第94回院展のために描き上げた平山郁夫さんの「文明の十字路を往く――アナトリア高原 カッパドキア トルコ」=2日午後、横浜市西区のそごう美術館 |
日本画壇の第一人者である平山郁夫さんが、2日死去した。鎌倉市二階堂に住む平山さんは、市の文化振興に尽くす一方、被爆者として平和活動にも貢献した。県立近代美術館の活動などにも協力を惜しまず、県の文化行政に深くかかわった。地元を大切にした平山さんをしのび、かかわりのあった人々から哀悼の声が上がった。
(山元一郎、木村尚貴)
1958年に平和都市宣言をした鎌倉市。平山さんがこの宣言文を揮毫(きごう)した新記念碑の除幕式が、今年3月に市役所の前庭であった。体調が優れない平山さんが出席できるかどうか、市幹部は当日の朝まで気をもんだという。しかし、平山さんは寒風にさらされながら平和の大切さを語った。旧制中学の時に広島で被爆、多くの級友を失ったことに触れ、全国に先駆けた同市の宣言を「本当に素晴らしいと思った」と高く評価した。
平山さんは07年に名誉市民の称号を受けた。
死去の報に、市役所内からも惜しむ声が相次いだ。平山さんに揮毫を依頼した金川剛文・生涯学習推進担当部長は「先生は平和と文化を守ることを熱く語って快諾してくれた」と振り返る。その後に金川部長がアトリエを訪ねると、宣言文を10枚も揮毫した紙が置かれており、真剣な取り組みを感じたという。
松尾崇市長は2日の記者会見で「鎌倉市にとって大きな損失であり、誠に残念」と語った。
一方、平山さんは、近代美術館の運営委員やかながわ国際交流財団の会長を務めるなど県の文化行政にも尽力した。水沢勉・同館副館長によると、03年の同館葉山館の開館にあたっては整備検討委員長だった。日本画展を開く時には、画家への出展依頼を仲介する労も取ったという。
松沢成文知事も2日の会見で平山さん死去に触れた。自宅に行ったり対談をしたりしたこともあるといい、「文化行政への高い見識で、ご指導いただいた。(平山さんが描き続けた)シルクロードの作品は、独特な画風。世界にも大きな損失だ」と述べた。
◆横浜で展示中◆
横浜市西区のそごう横浜店6階のそごう美術館で開かれている「再興第94回院展」に、平山郁夫さんの作品「文明の十字路を往(ゆ)く――アナトリア高原 カッパドキア トルコ」が展示されている。23日まで。同美術館の学芸員によると、平山さんは、今回の作品を1年がかりで完成させた。キリスト教徒が隠れ住んだといわれるトルコのカッパドキアをテーマに描かれた。
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