色々ありすぎて…:topologyplan187

この、ほんの数か月で日本は変わった。

日本赤十字義援金サイト
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 まず、3月11日に起こった、東日本大震災の被災にあわれた方、そして、亡くなられた方たち皆さんに、お見舞いとお悔やみを申し上げます。

 

あの日、僕はこのブログでも何度か書いている、セイクリッドセブン、というアニメのロケハンで、サンライズのみなさん4名と鎌倉のお店やお寺、それから鎌倉の海岸線取材のため、朝からドタバタと過ごしていました。

 

ちょうど震災が起こった14時半頃は、午前の取材を終え、昼休憩のため、鎌倉レンタサイクルにて、コンビニ弁当をほおばっている時でした。サンライズの皆さんは、劇中に出てくるラーメン屋さんで取材を兼ねて昼食中でした。

 

地震が発生し、震度4~5の揺れが長く続き、20~30分ほどした時点で、鎌倉市内は停電。

と同時に横須賀線はストップ。レンタサイクル屋で、ラジオから情報をとりつつ、twitterを活用して、友人知人の安否を確認。この時点では、すぐに復旧するだろうと安易に考えていました。

 

ラジオの情報で、宮城・福島沖での地震ということが判明し、携帯で実家(宮城)に電話をするが、案の定つながらず。兄夫婦にも連絡するがつながらず、ひとまずは、情報収集に努めました。

 

2時間ほどが経ったが、状況は好転せず、以前停電は続いており、完全に足止めを食らっている状況でした。午後の取材は、江ノ電と、江の島取材でしたが、これは出来ないと判断。

しかしながら、いくつかのお寺の取材があり、市内の状況把握も兼ねて、電動チャリで、取材を敢行。

鎌倉駅は、通常の土日以上に人がごったがえし、タクシー乗り場も100m~200mほどの列ができており、コンビニは早々と閉店。市内では、津波警報が放送されており、海岸線からの退避命令が出ている状況でした。

 

 今思えば、東北を襲ったような津波が来ていたら、私たちは死んでいたんだと思います、津波警報が発令されているとはいえ、来るわけないという思いもありましたし、今まで生きてきた中で言えばスマトラ島沖地震での津波映像は知っていても、自分が経験するわけはない、という思いがありました。

きっと東北の沿岸部の人たちもそうだったんだと思います。ほんとに来たらすごいけど、来るわけない、と。

 

少しの取材を終えて、レンタサイクルに戻り、夕方~夜の間に差し掛かっていました。町は暗く、闇が迫ってきていました。実はその日、私は車をコンパーキングに止めており、停電が回復した後に、車を使って取材メンバーを最寄駅まで送ろうと考えていました。ですが、停電は回復する見込みもなく、コインパーキングはロックされたまま動かすことはできません。

他のコインパーキングでも同じことは起きており、帰るに帰れない状況の人が多数いました。

ここでようやく、ただ事ではない事が把握できて来て、まずはコインパーキングから車を出すことにしました。土台になるものをロック板近くに置き、車をロック版上を通過させ、無事交通の手段を確保。

 

市内は真っ暗で、食品も全て売り切れ、携帯用充電池、灯りの類も売り切れ、あの日、鎌倉にたまたま来た人は、孤立していたことと思います。

 

車を確保したことで、まずは帰宅が可能になったので、取材メンバーを自宅に泊める事に決定。

20:00に自宅着。家にある食べ物で、夕飯をとり、酔えるはずもないものの、ビールで一服。

 

しばらくは、ラジオに耳を傾けつつ、翌日の行動を検討。

 

そして23時に、停電が回復。そして初めて、TVの映像と地震の巨大さを知る。

都内の、帰宅難民の状態をしり、交通網が完全にマヒしていることを知る。

実家とは依然連絡はつかず、取材メンバーも、会社、家族と連絡を取り合いながら、状況報告をしていた。

 

テレビ映像にはくぎ付けになったものの、見ているだけでは状況は改善しないので、就寝。

 

翌日、取材メンバーの車が横須賀にあったので、車を確認に向かい。その後藤沢に向かって、動き始めた小田急線にメンバーを乗せ、帰宅。

 

そこからの一週間はどう過ごしたかあまり覚えていないが、実家と連絡がついたのは、震災後3日ほどたってからで、3日目あたりでは、連絡つかないことに結構テンパりつつあったのを覚えてる。

 

仕事が手につかないのは当然で、むしろ何のために仕事してるんだか、わかんなくもなった。

今は、すこーしだけ、やることが見えつつあるけども、でもやっぱり、震災前と震災後では、本当の意味で仕事する意味というのは、変わってきているし、これからどうすることがベストの選択なのかを常に頭の片隅に置いているのは確かだ。

 

義援金や、ボランティア活動など、たくさんの人が復興のためにいち早く活動を開始していて頭が下がるが、個人的には、どうしてもそういう行動に結びついていなくて、自分にできる支援の方法と、継続可能な支援法を編み出すべく活動しているのが今の状態。

 

明日から、帰省し、自分の目で現地を見てきます。

なにか、ヒントをつかんで戻ってきたいと思います。